2025年11月3日月曜日

近況を。

退院して10月6日から職場復帰しています。
最初の2週間位は痛みが慣れなくて辛かったけど、今は神経痛や術跡が痛むことが少なくなって、だいぶ楽になりました。

この時期、朝晩は気温がマイナスになることが多く、バイクには乗れなくなることが増え、
運動量を増やすために、エアロバイク買ったり
していますけど、気温5度以上あれば、バイクに乗るようしています。ムリクリ

心臓と体調のバランスというか、いままで3割しか送っていなかった血液で身体を動かすこと慣れすぎて、身体全体が慣れていなく、過剰反応することが多々あります(医者もそういうことはあるって言ってます)

少し前までは、そういう体調悪くなると亡くなった母を思い出して悲嘆に暮れることもありましたけど
最近は慣れ?てきました。むしろ思い出を仏前で語って楽しんでいる感じ。

パン作ったり
紅葉見に行ったり

良い景色見たり
血液検査的はとても良好です。
あとは血圧と血糖値をなんとかしつつ体重を落として行きたい日々です。

移住時体重 83kg
昨年始め 94kg   wwww
お美味しいもんばっかりなんだもん帯広

現在体重 82kg

バイク乗ってると軽くなることが分かりやすい。軽さは正義ですねw
あ、傷口?はこんな感じです
あと早々にクルマのタイヤ交換も済ませてます。

2025年9月30日火曜日

退院しています。

 無事手術も終わり、当初1ヶ月入院の予定がかなり早まって、9月10日に退院です。
主治医も看護師さんも驚いていました。若いからなんでしょうね。。。と言っていましたが
もうおっさんですw

どうにも、心臓弁膜症で入院手術する患者のほとんどが70歳の高齢が多く
50代の私は若く見れらるようです。

退院してから、エアロバイクも買って、リバビリに勤しんでいます。
おバイクには、9月26日から復活しました。ひとまず運動量の少ないオンバイク(ninja)で
体を慣らして、近所50kmほど走行。

























次の日は活動量増やして、続けてオンバイク























さらに翌日は、調子が出てきたのでオフバイク(セロー)でお山リハビリしてきましたw
















お気に入りの本別ネオトップ林道(本別沢林道)と
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新しくできた林道 ワッカ美加登線を走ってきました
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※こちらは無編集

今日もリハビリ兼ねて、ぐるりと三国峠〜大雪ダム〜芽登を走ってきて
だんだん元の身体に戻ってきている実感があります。
精神的には、母亡くなってすぐ自身の心臓病だったので、たまに悲嘆反応出ちゃいますが
まぁ来週から仕事復帰しますし、なんとかやっていけるかな?
そんな感じです。

近況などは、XまたはFBで逐一あげてます。

途中、記録が抜けていますが、2019年12月に退職したあと2020年5月に
転職しています。
IT業界ではなく、電気屋です。といっても電気制御設計や通信設計がメイン。
資格も取りました。主な内容としては水道インフラ計測盤設計と製造(市)、ロケット開発制御盤設計(Iんたーsてらー)、食品加工制御(Cるびー)など。

十勝特有の農業関係の仕事ができて、今は大変楽しい仕事環境です。
(今は、休職中ですがw)

2025年8月24日日曜日

明日入院してきます。

明日8月25日入院 26日開胸手術です。

昨年5月頃からずーっと調子が悪く疲れやすかった。介護も重なったせいdsろうと思っていたけど。

今年3月に母を看取ってから、5月頃にやはり疲れがMAXなり、全然取れない日々。そして7月に適応障害で休職。

せっかく休みを取れたので
身体もメンテナンスせねばと検査しまくってたら、僧帽弁閉鎖不全症発覚。
医師曰く、左心房の肥大化を見る限り、1年位前に発症したんではないかと…時期的には合いますね。

いま、とても変な気分です。
借家とはいえ 約9年間 母とともに一緒に生活してきたこの一軒家。
ここを1ヶ月間 空けるというのがとても変な感じです。
 今日に向けて 冷蔵庫の中を整理したりバイクのバッテリーを外したり
家の中を整頓したりと
これからどこかへ引っ越してしまうような そんな感覚です。

前に北海道帯広に移住してくる時、平塚の家は実家でうちの父が持っていた家でした。
そこを売り払い母とともに後ろに移住してきた時のような
そんな感覚が少しあります。

寂しいような これから新たな人生が生まれるようなそんな何とも言えない気持ちです。
手術も全身麻酔で約6時間もかかるし
前に交通事故で事故を起こした時も
やはり 8時間の全身麻酔の手術を受けたことがあります。

その時は母が付き添い人でいたので安心でしたが今は誰も私の面倒を見てくれる人がおらず不安と心配となんだか このままいなくなるような でも新しいことにも目を向けていてとても複雑です。

ひとまず新しい人生が始まると思って手術に挑んできます。

入院先は、国立病院機構 帯広病院です。

2025年5月13日火曜日

四十九日も無事すぎて

落ち着いてきたので、記事として残します。
 
2025年3月14日 母が永眠しました。
昨年の3月に大腸癌が発見され、一旦ステント置換え術を施し一時的に元気なったけど
肝臓の表面に無数ゴマをまいたようなものも見つかり
手術摘出は厳しいとのことで、余命3年と医者から宣告。

けれど、昨年10月ごろから体調が急変。
自宅療養しつつ、介助介護で支援していたけど、2月に家で倒れそのまま緊急入院。
(こんな状況だったのに、会社のクソ上司(竹島)は仕事バンバンよこしやがって)
(このことは会社に報告済みだったのにね。同じ状況になって苦しめって思ってる)

緊急入院後、コロナのせいで病院から呼ばれないかぎり面会できず。

緩和ケア病棟に移動になってからは、毎日面会できるようになったので
毎日病院に通いまして、会話したり写真みせっこしたり
していましてけど、だんだん寝ている時間が増えてきて・・・。
麻酔や睡眠薬を投与されるも常に痛みがあるようで、
とても苦しかったみたいです。

まだ茅ヶ崎に住んでいること、父が自営で苦労も多く、母の家庭でも苦労してて
やっと解放されたようなのに、死ぬ間際にまた苦しみに襲われている母が
ただただ気の毒だし、可哀想すぎた。

亡くなる2、3日前、ずーっと眠り続けていたので、もうこのまま・・・だめかな
と思っていた矢先、前日にぱっと目が覚めて
「なんだ、だいか」と言って、そのまままた寝てしまいました。
その後、もう一度起きて、「もう勘弁してくれ」と言うので、
もう、心配しなくていいんだよ、ゆっくり休んでね。と言ったあとの夜中に他界。

よっぽど、心配だったんだろうね。

亡くなって、三七日ごろまで、夜トイレに行く歩く音や朝台所を歩く音
毎日聞こえていた。
一度朝方に階段をよいしょ、よいしょと声を出しながら上がってくるときも。
(私2階自室 母1階自室)

四十九日終わったら、ぱたっと音しなくなった。
家の中が静音。

錯覚だったのか、分からないけど、今は悲しみは薄れて、後悔多し。
むしろ、何年も前になくなっていて、今の生活を何年もしてきたのか
と妙な錯覚に陥ることも。

そもそも、父や母の肉声を思い出せない。
言葉として記憶はしているけど、脳内再生されない。
よく、映画やドラマ、アニメなどの名言や気に入っているシーンは
音声やBGMとともに脳内再生されるのに・・・。
なぜ、記憶が出てこないんだろ。

ほんと、写真も北海道に引っ越してきてから、たくさんの思い出ととも
たくさん撮ればよかったと後悔。
肉声の入った映像も残せばよかった。

近況を。

退院して10月6日から職場復帰しています。 最初の2週間位は痛みが慣れなくて辛かったけど、今は神経痛や術跡が痛むことが少なくなって、だいぶ楽になりました。 この時期、朝晩は気温がマイナスになることが多く、バイクには乗れなくなることが増え、 運動量を増やすために、エアロバイク買った...